私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。

だんご汁をいただきながら(車茶屋)

以前から気になっていた,吉富町のお食事処,車茶屋に行ってきました。ひとまず,名物のだんご汁から。段々と寒くなってきて,こうした汁物がおいしくなってきましたね。ボリュームたっぷりで,体の芯からあたたまりました。ごちそうさまでした。

本日は,投票日。私は,母から,投票は国民の義務だと教えられ,よくわからなくてもいいからとにかく投票してきなさいと言われて育ちました。何事も,やってみると,だんだん興味がわいてきて,政治について考え,自分の考えをもって投票をできるようになるものだと思います。今回の劇場型の目まぐるしい展開には,ついていけないところもありますが,日本の今後を左右する大事なイベントですので,そうしたことを改めて考える機会となればよいなと思います。

昨日,地域の個人マッサージ屋さんに,マッサージしてもらったところ,体のいたるところがコリ・ハリだらけと指摘されてしました。だんご汁で元気をいただきましたが,さらに,運動するなどして,健康に気を付けながら,引き続き頑張っていきたいと思います。

隣接する俥茶屋では,ステーキをふるまっています。今度は,こちらをいただきたいなと思います。 enter image description here enter image description here enter image description here enter image description here enter image description here

麺処 くらや

今日のお食事は,吉富町「くらや」にて。 豊前地域は,うどんやからあげのお店が多いですが,そばもいけましたよ。 また行きたいです。 enter image description here enter image description here enter image description here

被害者遺族の声と死刑制度の是非-宮崎家族三人殺害事件の報告を聴いて

平成28年12月3日,吉富フォー・ユー会館にて,「報告集会 Aさんの“今”と死刑制度の行方」が開かれ,私も参加させていただきました。

宮崎家族三人殺害事件とは,2010年に宮崎市で起きた,当時22歳の青年が,宮崎市の自宅で義母と妻,生後5か月を殺害した事件のことをいいます。当時はじまったばかりの裁判員裁判対象事件であり,公判はわずか20日のスピード審理を行った上で,九州初の裁判員裁判死刑判決がくだされました。

この事件では,妻の家族との間の複雑な背景事情があり,動機や被告人の精神状態を,慎重に判断しなければならないと思われる事件でした。控訴審では,心理鑑定なども行いましたが,結論は覆らず,最高裁も上告を棄却しています。

特徴的なのは,家族内の殺人ということに加え,なんといっても,被告人と被害者遺族との関係でした。被害者遺族は,第1審にて,「極刑を」と述べていたようですが,心境の変化があり,生きて償ってほしい,死刑では嫌だと思うようになったといいます。被害者遺族が,被告人と面会をしているというのですから,驚きです。最高裁には,死刑にしないようにという上申までしたといいます。被害者は,極刑を,死刑をと思うものだというのは,私の思い込みに過ぎず,被害者遺族の生の声,気持ちを,もっとよく聞いていかなければらないなぁと思ったところでした。

この事件を契機として,2016年10月に,日弁連が,人権擁護大会にて,組織として死刑廃止の方向性を決め,「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言案」を提出することを決めたのです。

大変勉強になり,死刑制度の是非について,特に被害者感情という側面から,おおいに考えさせられた集会でした。

正直,私は,死刑の是非について,立場を決めかねているのですが,現段階では,少なくとも積極的には支持できないという立場です。 憲法31条は,適正手続によらなければ人の生命を奪うことはできないという趣旨のことを定めており,反対によめば,適正手続によれば死刑も許されるとも読めます。しかし,あくまで,適正手続によった場合ということなので,適正手続が定められ,実行されているかが問題になると思います。 この点,日本の罰金刑,禁固刑,懲役刑,死刑というのは,刑の種類がかなり異なるのに,基本的に同じルールのもと審理することになっています。しかし,刑の種類が違えば,検討しなければならないことも変わるでしょう。懲役刑は,何年か??という,量の問題になることが多いのに対し,死刑は,これにするか否かというAll or Nothingの問題であり,さらには,終身刑の検討まで視野に入れると,現行法の手続でもって,適切な手続が整備されているといえるのか,自信がないのです。したがって,少なくとも,死刑を選択できる土壌としての,適切な制度が整えられているのかという部分に自信がもてない限りは,国家の殺人である死刑を容認はできないのではないか。そのような意味で,消極的な反対をするという立場でいるのです。

しかし,このような議論は,技術的なものであり,我ながら,血の通った議論ではないような気がしていました。本日の報告会は,まさに「血の通った」報告をいただき,ご意見をいただいたことで,あらためて死刑制度の是非について考える機会をいただきました。ありがとうございました。