私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。

成年後見人の仕事って?(日経新聞所感)

平成30年6月27日(水)日経新聞の夕刊(5面)に,「成年後見人の仕事って?」というタイトルで記事が。夕刊は,主婦層向けの記事も多いと聞きますが,家庭における成年後見制度への関心のあらわれでしょうか。

記事のなかには,「認知症の人が約500万人とされる中で17年末の成年後見制度利用者は約21万人。いかにも少ないね。」などといった記述も認められます。「制度が始まって20年近くたつのに中身があまり知られていないのが原因らしいわ。」とのことですが,エビデンスはあるのでしょうか。親族が,被後見人の財産管理に第三者が介入してくることを歓迎しない傾向にあることが,大きな理由のように思うのですが…豊前市はどうなのか,気になるところですね。

成年後見の申立ての動機は,「預貯金などの管理・解約」と「介護保険の契約」が合計で全体の約50%を占めるそうです。見事に財産管理権の典型と,身上監護権の典型ですね。記事のシナリオは,父親の預金を下ろしにいったら,銀行の担当者から,成年後見制度を利用して成年後見人を選ばないと引き出せないなどと言われ,制度の利用を検討するケースになっていますが,むしろ,銀行が,どのような基準で,これを選別しているのかが気になりますね(ATMでの取引ではなく窓口取引の想定ですが,ATM利用においてふるいにかけれるのか?も気になります。)。

当初は親族後見人が90%台だったのに,17年には26%にまで落ち込んでいるなどという統計も紹介されています。親族後見人の負担が重いから専門職後見人が台頭しているというような記事でしたが,実際は,不祥事対策という面が大きいのではないかと思います。

豊前市も,高齢者が人口の4割と言われておりますから,成年後見制度の適正利用は大きな課題と思いますが,まずはこのような統計の分析をするのも有用だなと思いました。豊前市の統計,地域の統計が入手できると1番良いのですが,どうすればよいですかね…

引き続き,悩みながら頑張っていきたいと思います。

「虐待」研修会

平成29年3月1日,@吉富町フォーユー会館,民生委員向けの虐待研修会を行いました。民生委員がかかわることの多いであろう養護者による高齢者虐待を念頭に,通報義務の意義,通報義務が生じる場合(虐待の種類と法律上の要件),通報後の流れなどについて,具体的事例を交えながらお話ししました。 研修会後,複数名の感想として,「わかりやすかった」というお声をいただいたので,まずまずだったと思います。 民生委員向けなので,民生委員法なども検討したうえ,研修を行いましたが,講師側でもいろいろな発見がありました。 また今後も,このような活動を通じ,市民の住みよい街づくりに貢献していけたらなと思います。 このような機会を与えていただき,ありがとうございました。 enter image description here

相模原殺傷事件・起訴

相模原殺傷事件の植松聖被告人が,起訴されました。 報道によれば,「自己愛性パーソナリティ障害」が認められるが,是非弁別の能力はあり,完全責任能力が認められるとの判断のもと,起訴に踏み切ったとのこと。 あれほどの惨劇を生み出した動機の形成過程と,普段の人格と犯行時の人格がどれぐらいかい離していたかなどといった点が気になります。 刑事責任能力が争点となりそうですが,ただでさえ被害者多数で大変な事件なのに,責任能力という難解な法概念に関する判断もしなければならない。世間の耳目を集める事件で,マスコミ対応なども必要ではないかと思います。大変な裁判になりそうです。 裁判員の負担も懸念されます。長期間の審理を余儀なくされるでしょうから,その間生活・仕事への支障は大きいでしょう。目を覆うような惨劇について,証拠の示し方も工夫が必要だと思います。一方,市民の目で,実際に,事件の全容を確認し,場合によっては明らかにしていくということには,意味があると思います。 今後も,注目していきたいと思います。

「知ろう!考えよう!障害のこと」

平成29年2月3日(金)18:30~20:30,@北九州市立商工貿易会館,「知ろう!考えよう!障害のこと」に参加しました。

内容は,2部構成。第1部は,基調講演として,毎日新聞社論説委員野澤和弘氏による,「障害と障害者差別解消法~障害のある人もない人も暮らしやすい街に~」というお話をいただきました。第2部は,野澤氏がとりまとめる東京大学の自主ゼミ「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ生のお2人と野澤氏の対談が行われました。

とても内容の濃い2時間でしたが,私が印象に残ったのは,とにかく,最後の質疑応答でした。質問者から,「結局,障害とはなんだと考えているか。」という質問がありました。自らも精神障害当事者であると語る女子学生の回答は,以下のとおりです。

私が,障害とは何かという問いに答えるとき,いつも,2つの回答を用意している。 1つ目は,障害は「グラデーション」であるということ。健常者と障害者,2つはまるで別のもののように語られる。国の政策上,なにをどこまで,税金を投じて法的に支援するか,線引きが必要ということはわかる。でも,本来,2つははっきり区別できないもののはずだ。人は,生きていれば,それぞれ,生きづらさを感じているもの。生きづらさの大きさに違いがあったり,種類に違いがあったり,ある特定の観点で,生きづらさが大きいと判断されている者を,障害者と呼んでいるに過ぎない。障害というのは,本来,境界のある別のものではなく,連続性のあるグラデーションなのだ。2つ目は,障害は「物語」であるということ。障害を「個性」という形で論じる向きがあるが,私は,そのような呼び方は好きではない。個性というと,なんだか自分の力で変えられるようなニュアンスが感じられる。ネーミングを前向きなものにすればよいという問題ではない。むしろ,障害は,「物語」というべき。ある人は,足が動かないという物語の上を歩んでいる。ある人は,心になんだか生き苦しさを感じているという物語の上を歩んでいる。人それぞれ,障害をもつ人もそうでない人も,それぞれの物語を歩んでいるに過ぎない。

なんとも,考えさせられるコメントでした。みなさま,いかがお感じになられるでしょうか。

法律のブログなので,少し,障害者差別解消法に関しても補足しておきたいと思います。この法律は,障害者に対する差別的取扱を禁止するとともに,行政や事業主に合理的配慮を求めるという特徴があります。ただ,合理的配慮も,事業主に過度な負担を求めるのはいけないということになっています。しかし,これには続きがあり,「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針」では,さらに,合理的配慮について「義務」とまではいえない場合も,「建設的対話」による解決を図るようつとめるべきという趣旨のことが記載されています。

1つ例を挙げます。学校で,体の悪い障害の方が,電気のスイッチが高すぎて届かない,全部スイッチの場所を下げてくれと要求したとします。しかし,これを全部やろうとすると,莫大なお金がかかってしまいます。学校に過度な負担を課すことになるので,合理的配慮として工事する「義務」までは課されなさそうです。しかし,学校は,その人の言いたいことはわかったということで,教職員や学生等に周知徹底をしたそうです。すると,その人にとって,とても望ましい方向で解決ができるようになりました。なぜなら,その人は,スイッチのことだけで困っていたわけではないからです。その人がスイッチを押せずに困っていれば,気づいた人が助けてあげられるし,図書館で高いところの本が取れなければ,気づいた人が助けてあげられる。工事をするだけであれば,莫大なお金を投じても,スイッチの件以外は解決しなかったでしょう。このように,「建設的対話」が,差別解消法の理念を実現する上で,とても重要になってきます。

野澤氏は,このようなお話をしており,なるほどと思ったところでした。

ここで登場した「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ 著・野澤和弘編著「障害者のリアル×東大生のリアル」も購入。生の障害者に触れた東大生の生の声が,それこそ生生しく記されており,大変勉強になりました。おすすめの1冊です。

障害者分野は,私の,おおいに関心をもっている分野です。これからも学び続けていこうと思います。